ガイ~音楽サークルSEA SPARROWS東京
ガイ
今やブラック・ミュージックのひとつのスタイルとなったサウンド、ニュー・ジャック・スウィングの生みの親であり、現在ホップ・シーンのトップ・サウンド・クリエイターとして活躍中のテディ・ライリー。なにしろマイケル・ジャクソンとホビー・ブラウンが彼のスケジュールを取り合ったというのだから、それだけで彼のすごさがわかるだろう。そんな彼の率いるグループがガイである。テディ・ライリーは1966年10月8日、ニューヨークで生まれた。父親の知り合いだったマネージャーのシーン・グリフィンと出会い、彼の指導で音楽活動を始めた。そして彼はキッス・アット・ワークというティーン・グループのメンバーとなり、84年にグリフィンが設立したサウンド・オブ・ニューヨークというレーベルからデビューする。彼らは「シュかー・ベイビー」「シンギング・ヘイ・ヤー」という2曲の小ヒットを出すまもなく解散し、テディはプロデューサーノアレンジャーとしての活動を開始する。ラッパーのクール・モー・ティーのアルバムなどを手がけ、そこそこのヒットを記録したりするテディの名前が一躍有名になったのは、87年に彼が手がけたキース・スウェットのアルバム『メイク・イット・ラスト・フォーエヴァー』が大ヒットしてからだ。このアルバムに収録されていた「アイ・ウォント・ハー」(全米5位)ニュー・ジャック・スウィングの原点といわれているスウィング・ビートを現代的にアレンジし、ジャズ的なハ-モニーも取り入れたこのサウンドは音楽シーンから注目を浴び、テディにも注目が集まるようになっていった。その後彼はジョニー・ケンプの『シークレッツ・オブ・フライング』、アル・B・シュア!の『イン・エフェクト・モード』などのヒット作を手がけ、88年に満を持したかのようにアーロン・ホール、ティミー・デイトリングと共に自己のグループ、ガイを結成し、アルバム『ガイ』をリリースする(ティミーはアルバム発売直前にアーロンの弟、ダミオンと交代)。このアルバムは全米27位を言酉彖し、「グルーヴ・ミー」などのヒット曲も生まれた。その後のテデイの勢いは止まることを知らず、次々とヒット・アルバムを連発。最近ではマイケル・ジャクソンの『デンジャラス』とホビー・ブラウンの『ホビー』という、ブラック・ミュージックの2大スターのヒット作が彼のプロデュースによるものだ。また90年にはガイとしての2枚目『ガイ!…ザ・フューチャー』をリリースし、これも大ヒットさせている。『ガイ!…ザ・フューチャー』は90年にリリースされたガイの2作目。テディ・ライリー、アーロン・ホール、ダミオン・ホールというおなじみ3人による作品だが、全体のサウンドはほとんどテディが作っており、サウンド・クリエイターとしての彼の実力が100%発揮された、現代ブラック・ミュージック・シーンを代表する1枚である。ニュー・ジャック・スウィングを中心に、ラップ、ヒップ・ホップ、ジャズなどの要素も巧みに取り入れ、ダンサブルで密度の濃いサウンドが展開されている快作だ。時代を席捲したニュー・ジャック・スウィングだけど。他のアーティストガやったものと本盤とを比べると、やっぱり本家は違う。スピード感と重さとを同時に増すという離れワザをやってのけ、時代の急速な変化さえ軽々とクリア。Pファンク的なニュアンスもある。偉大な黒人音楽の先達への敬愛を表明した曲もある。ジャック・スウィングとゴスペルを合体させたような曲もある。現在に息、づく黒人音楽唸まくりといったノリだ。かっこいい。