キング・クリムゾン~音楽サークルSEA SPARROWS東京
キング・クリムゾン
プログレッシヴ・ロックのパイオニア、キング・グリムソンは、それまでにない幻想的で美しい斬新なサウンドを生み出したグループだ。1967年、グループの中心となるロバート・フリップ(g,mellotron)とマイケル・ジャイルズ(ds,vo)、ピーター・ジャイルズ兄弟が出会い意気投合、68年にイアン・マクドナルド(sax,key,vo)らを加えて、アルバムを制作した。その後ピーターらが抜け、ピート・シンフィールド(words)、グレッグ・レイク(vo,b)が加入。こうしてキング・グリムソンの歴史が始まった。69年、初のアルバム『グリムソン・キングの宮殿』をリリース。ビートルズの『アビイ・ロード』にかわって全英No.1を獲得、彼らは一挙にシーンに躍り出た。しかし、この年の全米ツアー直後、イアンとマイケルが脱退。代わってジャズ畑からキース・ティペット(p)、メル・コリンズ(sax,fl)が参加。ゲストにジャイルズ兄弟、ゴードン・バスケット(vo)を迎えてセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』(70年)のレコーディングに入った。が、5月のリリースを前にグレッグがEL&P結成のために脱退。ロバートとピートとの不仲も噂されるが、70年12月にはメル・コリンズ、ゴードン・バスケット、アンディ・マックロウ(ds)という5人のメンバーに多数のゲスト・ミュージシャンを迎えて3作目『リザード』を完成させる。しかし、この直後アンディとゴ-ドンが脱退。ボズ・バレル(vo,b)とイアン・ウォーレス(ds)を新メンバ一に迎え、71年4月からライブを再開、年末には4作目『アイランド』をリリースした。しかし、それも束の間、今度はピート・シンフィールドがグループを離れる。ライヴアルバム『アースバウンド』をイギリスでリリースした後、クリムゾンは年間沈黙の時期に入る。72年、ロバートはビル・フラップオート(ds,per)、ジョン・ウェットン(vab)、デヴィッド・クロス(vln,key)、ジェイミー・ミューア(per)というメンバ-を集め、新生グリムソンをスタートさせた。イギリス国内ツアーに続き、翌73年には『太陽と戦慄』を発表、絶賛を浴びる。ツアーの途中、ジェイミーがステージから転落し引退するが、残った4人で活動を続け、74年『暗黒の世界』をリリース、ツアーに出る。が、今度はデヴィッドが脱退。3人となったメンバーにイアン・マクドナルドらがゲストとして加わり、『レッド』(74年)を制作するが、その発売直前に突如としてロバートはクリムゾンの解散を表明した。クリムゾン解散後、81年にロバートはビルのほか、トニー・レヴィン(b)、エイドリアン・ブリュー(g,vo)と共に新たに活動を開始。この新生キング・クリムゾンでは、これまでのクリムゾンとは異質なサウンドの『ディシプリン』(81年)をリリースした。その後、『ビート』(82年)、『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペア』(84年)と2枚のアルバムを発表したが、再び解散している。突然の解散表明の直後にリリースされたのがこの『レッド』だ。ロバー卜・フリップ、元イエスのビル・フラップオート、元ファミリーのジョン・ウェットンの3人に、かつての仲間だったイアン・マクドナルド、メル・コリンズ、ロビン・ミラーらがゲスト参加して制作された。全体にヘヴィーな雰囲気に包まれた、オリジナル・クリムゾン最後のアルバムである。70年ごろ、高校生になったぼくの周りはー家に一枚『グリムソン・キングの宮殿』状態。バカ・ポップス愛好家だったぼくには、あの、良く言えば荘厳かつ幻想的な、悪く言えば人の弱みにつけこむ哀愁たっぷりのサウンドが辛抱ならなかったのだけど。その影響力のでかさだけはしっかり認識させられたものだ。