キッス~音楽サークルSEA SPARROWS東京
キッス
1972年、ニューヨークに視覚的にも体力的にもステージ映えするグループ作りを目指すふたりの若者がいた。彼らこそが、悪魔を連想させるメイキャップとホップ感覚溢れるハード・ロック・サウンドで一時代を築いたキッスの柱、ポール・スタンレー(vo,g)とシーン・シモンズ(VO,b)だった。ピーター・グリス(ds,vo)とエース・プレーリー(avo)を迎え入れた彼らは72年末にキッスを結成し、ライヴ活動を開始する。視覚的に訴えるために例のミステリアスなメイクを施した4人は、74年2月にカサブランカレコードから『地獄からの使者』で念願のデビュー、キッス・アーミーとよばれる熱狂的なファンを獲得する。3作目『地獄への接吻』から75年4月にシングル・カットした「ロックン・ロール・オール・ナイト」がデトロイトで局地的ヒットとなり、それを受けて行ったライヴの模様を収めた2枚組『地獄の狂獣』(75年9月)がプラチナ・アルバムに輝く大ヒットを記録。これを機にキッスの名は世界中に知れわたった。その後も76年に『地獄の軍団』『地獄のロック・ファイアー』、翌77年に『ラヴ・ガン』『キッス・アライヴ』と、年2枚という信じられないハイ・ペースでアルバムを発表し続け、そのすべてをプラチナ・ディスクに輝かせたキッスは78年4月に初のベスト盤『ダブル・プラチナム』を発表した。また、この年の9月には4人それぞれのソロ・アルバムを同時に発売するという離れ業を演じたり、10月にアメリカ3大ネットワークのひとつNBCで彼らを主役としたドラマが放映されるなど、やりたい放題の活躍ぶりを見せた。しかし、『地獄からの脱出』(79年4月)と『仮面の正体』(80年5月)をヒットさせた後の80年にピーターが私生活上の問題を理由にグループを脱退してしまう。一般からオーディションで選んだエリック・カーを入れ、活動を再開するものの、デビュー以来初めて味わう脱退劇による動揺からか、その後のキッスには以前のような勢いがなくなってしまう。83年8月にはエースが脱退。82年から彼の代役で参加していたヴィニー・ヴィンセントを正式メンバーとして迎え入れたキッスは、8月18日のMTV特別番組でとうとう素顔を公表、トレードマークのメイクなしで活動を始める。その後、二度にわたるリード・ギタリストの変更を余儀なくされながらも84年9月には『アニマライス』、85年9月には『アサイラム』をヒットさせたキッス。第2期黄金時代を迎えた彼らは、88年4月に1年ぶり三度目の来日公演を成功させた。コンスタントにアルバムを制作しながら、現在も第一級のエンターテイナーとして活躍している。『ダブル・プラチナ』はオリジナル・メンバーによる初期の代表曲20曲で構成されたキッス初のベスト盤。プラチナ・アルバムに輝いたこの作品は単なるヒット曲の寄せ集めではなく、1曲目の『ストラッター’78』が新たに再録音されたほか、大半の曲がリミックスし直されている。リミックス全盛の現代ではさして驚くことではないが、当時としては革新的なことであった。シンプルでストレートな分かりやすいロックン・ロールが絶品。こういう知性あふれる大バカ野郎たぢこそがロック・シーンを盛り上げる。いいなあ。本当のかっこよさってやつはいつだってギャグすれすれのきわどさと背中合わせに存在しているってことを、キッスは教えてくれるのだ。特に76年ごろまでの彼らはごきげん。デトロイトでブレイクしたという素性もいい。土地柄か、なんともファンキーな手触りがハ-ドなリフの影に見え隠れしている。オリジナル・アルバムでは『地獄の軍団』がおすすめ。